追憶 友の死

滑落死

昨日、冒頭で少し触れた遭難した友人の話。

昨日書いたら思いだしてしまったので書きます。

春、雪解け前のとある山。前泊のテントの中、きっと彼は興奮であまり眠れず早朝から起きだして意気揚々と登り始めたのでしょう。
でも、登り始めたら、聞いていた情報で想像していた以上に厳しい斜面が待っていた。それでも引き返すという選択肢はなかったはず。それは前に一度撤退していたから。周りの友人に「なんであんなところで?」と言われていた。
その時の悔しさもあって少し危ないと思いつつもそれでもなんとか登り切り、登頂したんだと思う。

後に発見されたデジカメには、普段とは少しだけ違った疲労感の窺える顔をした山頂での彼の姿が写っていた。

登って来た斜面が思っていたより厳しかったから多分ルートを間違えてしまったんだろうと、地図を開いてみるも雪に埋まった登山道は正しいのか正しくないのかも分からなかったのだろう。やっと登って来た道を戻れるのだろうか?と降り口をうかがっているその姿に不安を感じ話しかけた登山者は、彼の身につけている装備などからもどうも危ない予感がしたらしいが、「あなたにはここから降りれない」などという権利もなく「危険なので違うルートに降りたほうがいい」とアドバイスだけして別れたらしい。

その後、その日同じ山に登ったツアーガイドなど色々と当たってみたが見かけた人はおらず、その人がその日彼を見かけた最初で最後の人だった。

そしてその後の友人の行動は不明に。アドバイス通りに違うルートに回ったのか、アドバイスとは違うルートに回ったのか、来た道を戻ったのか。
しかし、最後に見かけた時間からまだ下山していないということから確実に彼が遭難したという事実だけは分かったし、登った山からそれはつまり遭難の中でも深刻な状態に陥ったことも想像できた。

友人が登山から帰宅しないと聞かされたのは帰宅予定の12時間後のことだった。
彼の奥さんは彼がその日どこの山に向かったのかすら知らなかった。登山計画書を書いておらず、しかも奥さんに知らせることなく出かけたようだった。

他の友人達は次々と彼の登った山に彼の消息を求めて向かっていったが、ボクは向かうことが出来なかった。向かった友人達も現地の天候が悪く、警察の捜索隊も山に入れない状況の中、所詮素人の登山愛好家に出来ることはなかった。

言い訳かも知れないが、ボクはその場の熱い気持ちだけで現地に行ったところできっと山を見上げているだけで何も出来ないことは分かっていた。友人たちには言えなかったが、登山口の駐車場で主の帰りを待つ彼のクルマを再確認したところでそれが何の役にも立たないことはわかりきっていた。むしろその時間がもったいなく、家にいて同じ日に同じ山に登った人がいないか、ツアーを調べ、そのガイドさんに連絡を取り、彼らしい人を見なかったか?と問い合わせていた。
今の自分に出来ることはそれぐらいしかないと思えたし、現地にいないほうがみえてくるものがあるのではないかと思えた。結局素人の出る幕はなかったが。

もちろん友人たちには感謝している。現地の捜索の様子や山の状態を随時教えてくれたし、そしてなによりも駆けつけてきたご家族に、これからどうすれば良いか?などのアドバイスをしてくれていたので、それはさぞかし心強かったことと思う。そして今にして思えば、僕達に出来る最大のことはそうやって心配しているご家族の力になることだったんだろうと思う。

結局、遭難から数ヶ月の後の発見となった。その前に現地の捜索隊は解散され、その後、ご家族が民間の捜索隊にお願いして捜索していたなかでの発見となった

見つかった状況から登ってきたルートを下山開始後すぐに足を踏みはずし、数百メートル滑落したのだろうとの事だった。当時の雪の状況からかなり雪が緩んでいたのでそれで足を踏み外したのだろうと。しかし滑落の距離の割に幸いにして遺体の損傷は少なく済んだようだった。

まさか登山経験4年程度でこんなに身近に遭難死が起こるなんて思わなかった。
だが、それ以来彼の死を教訓に、しっかり保険に入り、計画書にはもし遭難した時に連絡する警察などの記載、エスケープルートも記入し、その書き上げた計画書の内容を前日のうちに妻に説明するようにしている。

・・・皆さんもご家族に迷惑をかけないように気をつけて良い山行を。

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